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なぜ私の広場恐怖症(パニック障害)が重症化せず軽症で済んだのか。

2017/02/09  著者:ハッサン

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ハッサンです。
今回は広場恐怖症についてです。

発症のきっかけ

数年前、大学構内での説明会に参加している時でした。
何故かその時は、いつもなら絶対に座らない最前列、しかも登壇者の目の前という席に座りました。
説明会の途中、必要な書類を持ってきていないことに私は気づきました。
気持ちが焦り出しました。
登壇者の目の前という位置関係も影響したと思います。
焦るだけなら誰しもあると思うのですが、その時私は、自分のその焦燥感、それ自体に意識が向き、そんな焦る自分に焦ってしまったのです。
「あれ、何か俺焦ってる。」
「おかしい、すごくそわそわする。」
「部屋を出たい。」
そこからずっと、動悸の高鳴りと冷や汗が続きましたが、説明会が終了して気持ちは落ち着きました。
自分のさっきの状態が、いわゆるパニック障害に近いことはすぐに分かりました。
多少知っていたのです。
だから「自分もなってしまった。」と物凄く恐怖しました。

その後数ヶ月
「動悸が強くなって発作を起こして倒れたりするじゃないか。」
「悪化してウツ病でも併発したらどうしよう。」
といった不安の中で過ごすことになりました。

予期不安に苛まれる日々

その日以降、次のような事が苦痛になりました。

  • 区間の長い電車に乗る
  • 歯科治療で長時間動けないでいる
  • 少人数制のクラスで授業を受ける

つまり、身動きの取れない状況に置かれることが怖くなったのです。

電車は通学で2時間近く必ず乗らないといけませんでした。
不安に耐えられなくなって途中の駅で降りたこともしばしば。
ガムを噛むとセロトニンと呼ばれる脳内物質が出て精神が安定すると知ったので、電車内ではずっとガムを噛んでいました。

歯科治療が一番苦痛な時間でした。
まさか治療中にガムを噛むことはできません。
手汗と動悸は待合室で待っている時からすでに始まっていました。
治療中は流れているBGMにひたすら耳を傾けました。
それから、本で読んだ方法で、自分の周囲1mの空間が安らぎのエネルギーで満たされていると思い込んだりもしました。
そんな誤魔化しを使って、私は気持ちを落ち着けようと必死でした。

「今のところは大丈夫だ。」
「でも次の瞬間にはパニックを起こしているかもしれない。」
「5分過ぎたけど大丈夫だった。でも次の瞬間にはパニックを起こしているかも。」
一時も心休まるときは無く、瞬間瞬間が不安との闘いでした。
けれど、そんな闘いに必死なっている内に時間は過ぎ、事なきを得ていました。

大学の授業も困り者でした。
百人単位の学生が参加するような大教室での講義は大丈夫でした。
いつ抜け出しても目立たないから問題無い、そう思えたからです。
辛かったのは、少人数制の小教室で行われる授業。
ある授業は先生が高圧的な人で、勝手に席を立って抜け出せそうにない空気でした。
1コマ90分間ずっと落ち着いて席に座っていられる自信が無かった私は、教室の前まで行くものの、結局踵を返すということが何度もありました。
単位が取れる程度には出席しました。

重症化を防いだ考えや行動

色々と書きましたが、実際に発作を起こしたことは一度も無く、症状としては軽度だったと自分は考えています。
その理由を考えてみました。

不安な状況に居ざるを得ない

電車も歯医者も授業も、結局は必要なことで途中で止めるわけにはいきませんでした。
それが逆に良かったのだと思います。
最初から最後までその場所に居続けることが出来たという事実が、自分に自信をつけてくれました。
いわゆる暴露療法を受けている状態に近かったのかもしれません。

冷静に現実を認識する

「発作が起こるのではないか」と不安になっていましたが、実際には過去1度も発作を起こしてはいないのです。
その事実を認めれば、少しは安心できます。
「閉ざされた空間にいる」→「動悸が高鳴り発作が起きる」
という風に帰納的に考えるのではなく
「閉鎖的なAという場所で発作は起こらなかった」
「Bでも起きなかった」
「Cでも起きなかった」
→「閉鎖的な場所では発作は起こらない」という風に演繹的に考えたのです。
このおかげで新しいDという場所でも大丈夫だと思えます。
100羽目までカラスの色が黒ければ、きっと101羽目も黒いのです。

発作を起こしても別にいいと考える

よくよく考えると、発作が怖いというよりは「公衆の中で発作でも起こして恥を晒したらどうしよう」という恐怖があったようです。
また、「勝手に抜け出せない」というのも自分が勝手に思い込んだ制約に過ぎず、「気分が悪い」などと言って抜け出せばいいのです。
あるいは、いっそのこと勝手に抜け出せばいいのです。
そういう考え方が出来るようになってからは、症状が治まってきた気がします。

そもそもの心因は何か

説明会で必要な書類を忘れてしまった私には、目の前の登壇者に叱責されるのではないか、という恐怖がありました。
それが引き金になりました。
今にして思えば、相手は今日会ったばかりの人で、教師でもない1スタッフに過ぎないので、怒られる事など有り得ないはずでした。
また、授業中、先生が高圧的だからといっても、気分が悪いのに外出を認めてくれないなんて、そんなはずはないのです。
そこでも何らかの叱責を恐れていたようです。
自分の中に培われてきた「他者は自分に対して怒る」という他者像を、出会う人全てに投影していました。
そういった他者像がなぜ培われたかは、自分の過去を遡らなければわかりません。
いずれにせよ、「場を弁(わきま)え正しくあらねばならない」という意識があり、その意識は人前でパニックになる自分とは反するため不安になっていたのだと思います。

そして現在

実は、この文章を書いていてその時の感覚が蘇り少し不安にはなりました。
けれど今はリルもいるし、一人ではないので大丈夫です。

自分の心が不安で騒がしくなっていても、空を見れば雲は悠々と流れています。
つまりそういうことです。
そう考えるようにしています。

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