今回は家庭のゲーム事情についてです。
ひとんちのゲームをしにくる子供
昔の家庭用ゲーム機やソフトは一般家庭の子供には高くて買えたものじゃなかったので、買うとしても大抵は親が自分が遊ぶために買って、子供はついでに遊んでいるようなものでした。
ということで、親がゲームに関心が無ければ家庭にゲームは無いので、自分の家でゲームを遊べない子供はそれなりに居ました。
私の親はゲームが好きで、物心がつく頃にはファミコンとスーファミは置いてあったので、私も暇な時に遊んでました。
幼稚園に上がってから、とある子が家に遊びに来るようになるのですが、その子は私の家でゲームばっかりしてました。
とは言っても、一緒にゲームをするわけじゃなく、ひたすらその子一人でゲームしていて私は楽しくなかったので、
誘われた時には「外で遊ぼう」とか「そっちの家で遊びたい」などと言ってたような気がします。
でも提案は拒否されて、リルの家で遊びたいと言うので、私は嫌になって他の子と遊ぶようになりました。
その子は要はゲームがしたいのでしょう。
しかし、ゲームを持っていない家庭だったとしても、必ず他人の家で夢中でゲームをするとは限りません。
ゲームにのめり込む理由には、やっぱり本人の性格もあるのかな、とは思います。
環境6割性格4割とどこかの誰かが言ってました。
基本は難しいファミコン
私には家にゲームが沢山あったけれど、そんなに夢中にはなりませんでした。
まず子供がクリアするには難しすぎます。
ファミコンのアクションは最初は簡単っぽいですが、後半になると、鬼畜すぎるくらい難しくなるし、そもそも文字が読めないのでストーリーが分からないし、どこに行けば良いかも分からないのです。
楽しく遊べるものはせいぜい「カービィの夢の泉の物語」くらいです。
変化したゲームに対する価値観
現在、携帯機ゲームが普及して、親はゲームをやらないけれど子供には与える家庭が増えたことで
「ゲームは子供がするもの」という考えが一般的になった気がします。
ポケモンの思い出
ゲームボーイのポケモンが流行っていたころ、友達がプレイしてるのを見ながら面白そうだなぁと思って一緒におしゃべりしてました。
今でいうゲームの二人実況というやつです。
親に面白いゲームだったよと教えたあと、私がノートにゲームっぽく文字を書きながらイーブイを描いてました。
親がそれを見たせいかは分かりませんが、何かの記念日でもなければ、欲しいとも言ってなかったのに、ある日突然ゲームボーイとポケモンを買ってくれたのには驚きでした。
私が欲しそうに見えたのかもしれませんね。
なんであれ買ってくれて嬉しかった。
友達と通信ケーブルで図鑑揃えたりして楽しんでました。
こういう遊びも共通のゲームソフトやゲーム機をお互いが持ってはじめて出来る遊びです。
ゲームで生まれるつながり
スマホほどのコミュニケーションに特化したツールでは無いものの、携帯ゲーム機には、子供同士のコミュニティを形成するのに一定の効果はあると思います。
となると、それを持ってる子とそうでない子では交友範囲の広さに違いが出ます。
外で遊ぶには狭くて何かと遊びにくい日本の子供は、おとなしく友達と遊ぶとなればゲームが当然の選択肢になるとは思います。
今の世代の子は最初から3Dのゲームで遊べるし、直感的に楽しめるからいいですね。